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トゥールーズ(Toulouse)

トゥールーズは現在、フランスで6番目の人口密集都市で、様々な地方からの影響を受け、それらが集中する位置にありました。ロラゲ峠からは地中海の、ガロンヌ川流域からは大西洋の、中央ピレネー山脈から下ってくる峡谷からはスペインの影響を受けてきました。したがって、ガロ=ロマン時代以来、様々な民族が行きかう街道の宿駅でした。

9世紀から13世紀にかけて商業で繁栄しましたが、13世紀のアルビジョワ十字軍の動乱で壊滅的な打撃をうけ、カペー王朝の王たちは、ラングドック地方まで権力を拡大する好機を得ました。 とはいえ、14世紀には、各種アカデミーの頂点にたち、「花ゲーム(jeux floraux)」と呼ばれる文学コンクール、また16世紀には藍染料が流行したおかげで、トゥールーズの栄光は保たれました。

トゥールーズは中世初期からフランス有数の芸術の中心地でした。しかし、その頃の姿を今にとどめるものは、サン=セルナン聖堂とアウグスティヌス美術館にあるロマネスク様式の彫刻だけです。

当時、トゥールーズは飛躍的な経済発展を遂げ、町を拡大したため建築を指揮するものたちには素材不足という問題が生じました。一番近くにある採石場が町から80kmも離れていたのです。そこで使ったのが、ガロンヌ川でとれる粘土を使ってつくったレンガでした。頑丈で安価なこの素材は、使いやすい反面、装飾的には優美なものではありませんでした。しかし、それは街中に影響力を持っていた托鉢修道会の要求する質素さに自然な威厳を加味することになりました。

>>トゥールーズへのアクセス

空路では、パリまたは欧州主要都市からトゥールーズ・ブラニャック空港へアクセス。空港から市内へはバスでアクセス
列車はパリ・モンパルナス駅からのTGVにて、また、オーステルリッツ駅から在来線でアクセスが可。その他、周辺の都市から列車でのアクセスが可能で、ミディ・ピレネー地方の周辺都市へは列車、バスともにでており、ミディ・ピレネー地方の交通の中心です。

アルビ(Albi)

アルビの町の家、橋、建築物はすべてタルン川流域で取れる粘土を原料として作られました、ばら色のレンガが使われています。13世紀、アルビはカタリ派の教義の信者を迎え入れた最初の町でした。そのため、カタリ派はアルビジョワ派と呼ばれることになりました。

カタリ派に対する十字軍は、信仰の教義の面では聖ドミニクによって行われましたが、現実にはフランス北部と東部から派遣された軍隊によって実行され、この辺りでは恐ろしい殺戮が行われました。1208年〜1229年まで続く、この戦争によってカペー王朝はラングドック地方へ勢力を延ばすことになりました。

そのような暗い歴史をもつ町ですが、現在ではレンガで作られた美しい旧市街が残り、芸術性の高いサント・セシル大聖堂を中心に発展し、近年、ユネスコの世界遺産に登録されました。また、パリのモンマルトルで活躍した画家ロートレックの生地としても知られ、ロートレック美術館のコレクションには定評があります。

>>アルビへのアクセス
トゥールーズからの列車でアクセスが可能。


カタリ派(アルビジョワ派)の虐殺


カオール(Cahors)

カオールは、ロット川が硬い石灰岩台地に行く手を阻まれ、U字型に多く蛇行したところに築かれた町で、3方をロット川に囲まれ、まるで川中島にあるようです。町のシンボルである3つの高い塔と、堅牢な門を備えたヴァラントレ橋は町の西側にあり、外敵の侵入を防ぐための要塞で、フランス南西部にあるこの種の橋では、最大規模のものです。

作られたのは、カオールが商業都市として発展した14世紀で、カオール出身のローマ教皇、アヴィニョン法王庁の2代目の法王、ヨハネス22世の時代でした。

カオールは、すでに紀元前1世紀にローマの植民市となり、ガロ・ロマン時代の公衆浴場や劇場跡が残れています。3世紀にキリスト教がもたらされ、5世紀〜9世紀にかけて、フン族、イスラム、ノルマン人など異民族の侵入を断続的に受けましたが、7世紀に司教座が置かれてから、町は発展しました。

また、中世にはサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路として、巡礼者を集めた町でもあり、サン・テティエンヌ大聖堂には、そのころの名残が見られます。現在では、カオールワインの産地として有名になりました。

>>カオールへのアクセス

トゥールーズからの列車でアクセス可能。

サン・シル・ラポピー(Saint Cirq Lapopie)

ロット川の上流にあるサン・シル・ラポピーは、フランス屈指の美しい村、80mの切り立った崖の上にあり、すぐしたを川が流れています。13〜16世紀に建てられた木骨の家や石造りの家々を小さな坂道が結んでいます。

サンシル・ラポピー は、中世の時代、宗教戦争の終わりごろまで、ロット川による通商支配をして発展しました。サン・シル・ラポピーは当初3つの部族が合同で支配をしていました。グルドン族、カルダイラック族、ラポピー族の3部族で、13世紀頃の話です。

14世紀にはおのおのの部族が城を持ち、最も高い崖の上に城砦をたてたのが、後に村の名前に付け加えられたラポピー族のものでした。これは、1471年、ルイ11世によって破壊され、16世紀、アンリ・ド・ナヴァールによって完全に破壊されました。

中世の時代、イギリス軍も何度も攻めて来ました(アキテーヌ地方がイギリス領だったため)何度か奪われましたが、その度に取り返してきました。その後、村は見捨てられ、フランス革命後の産業革命の波もここまでは届かず、すっかりと取り残されましたが、そのために美しい村として残っているのでしょう。電気も水道もなかなか届かず取り残された村となっていましたが、20世紀に入り、アンドレ・ブルトン、アンリ・マルタンなどの芸術家が、この村を発見し、村おこしが始まりました。


サン・シル・ラポピー (Saint Cirq Lapopie)

>>サン・シル・ラポピーへのアクセス

カオールやフィジャックからのバスがありますが、村の近くで下車してから30分ほど歩く必要あり。

コンク(Conques)

ミディ・ピレネーの山間、ロデズよりもさらに北に進んだ山の中にひっそりと佇む美しい村、コンク。この上なく美しい村にすばらしいロマネスク様式のタンパンが残るサント・フォワ聖堂が堂々と建っています。

現在の村の人口は300人ほどですが、当時は3000人ほどが住んでいたといいます。さらに大勢の参拝者が年中押しかけていました。そうしたにぎわいの訳はここが、サンティアゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼路教会だったからですが、それよりも大きな理由として、聖堂で祀る聖女フォワが当時絶大な人気を集めていたことがあります。

>>コンクへのアクセス

非常にアクセスが難しく、車を持っていないのであれば、ロデズを拠点とするしかありません。日によってロデズからバスが出ることもありますが、基本的にバスでのアクセスはないと考えた方がよいです。タクシーでコンクに向かうのが現実的でしょう。


コンク (Conques)

ロカマドゥール(Rocamadour)

ロカマドゥールはアルズー渓谷の絶壁に張り付いた村で、キリスト教の重要な巡礼地の一つでした。12世紀、腐敗していない聖アマドゥールの遺体が発見された奇跡をうけて、代々のフランス国王をはじめ、多くの人が訪れるようになりました。賛同にホテルや土産物屋が並ぶ様子は当時から変わっていないようです。岩で発見された聖アマドゥール(Roc と Amadour)から、この町の名前が付けられたと言われます。

村は3段階に分かれており、上からChateau(城のある地域)、Sanctuaires(聖域)、Village(村)に分かれます。

上の城は昔は巡礼者を守るために作られたものですが、19世紀に完全に改築されているため、新しい城になっています。ここから一つ下の聖域へは十字架の道(chemin de croix)が続いていますが、これも19世紀に作られたもので新しく、中世の時代にはなかったものです。今ではキリストがゴルゴダの丘に行くまでのストーリーが示されている小さな礼拝堂がいくつもあります。

この道を降りて、聖域に行くと、いくつもの教会、礼拝堂があります。中世には、巡礼者がここに巡礼するために多数訪れました。

下から上ってくるのは、巡礼者の大階段(216段)があり、この階段を膝をつきながら上るという苦行で、悔いを改めました。階段を登ると、前庭のまわりに聖堂と6つの礼拝堂があります。岩に張り付くように建てられたものもあります。

当時のオリジナルが残っているものは少ないのですが、サン・ソヴール教会は、12世紀のオリジナルロマネスクが残っています。

また、有名なものは、ノートルダム礼拝堂にある黒いマリア像です。この礼拝堂は、アマドゥールが発見された場所にある主要な礼拝堂で、薄暗い礼拝堂内部の祭壇には、幼いキリストを膝に乗せて玉座に座った木彫りの「黒い聖母像」があります。16世紀にプロテスタントにアマドゥールの遺体が奪われると、人々の信仰は、この聖母像に向かい、フランス有数の巡礼地となりました。

また、サン・ミッシェル礼拝堂には、壁に12世紀のフレスコ画が残っており、これは左に受胎告知、右にエリザベート訪問のシーンが描かれています。

下の村には、お土産屋やレストランなどが並んでいますが、昔はこの村を通ってから、会談を登って、聖域を目指したそうです。当時から巡礼者の宿というものがあり、それは村から少し離れたところにありました。現在では、医療施設や病院があるところですが、そこから村への間も当時も家々が立ち並び、活気があったそうですが、その後、巡礼の熱も冷めてくると村はさびれてきました。現在では、巡礼熱の再燃、これらの巡礼者教会が注目され始めて、村は再び活気づいてきました。

>>ロカマドゥールへのアクセス
ロカマドゥールの名のついた駅はあるので、列車で行くことができるが、町からかなり離れており、現実的ではありません。カオール、フィジャック、サルラなどの近くの中規模都市からのタクシーが現実的でしょう。


聖地ロカマドゥール

モワサック(Moissac)
モワサックは、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にあたる小さな村です。村の規模は小さく、見どころも多くはありませんが、修道院の回廊とサン・ピエール付属教会の南側正面扉のタンパン彫刻が非常に有名なところで、これを見るために世界中から人が押し寄せます。

モワサックは、タルン川がガロンヌ川に合流する手前の右岸にあります。最初の修道院ができたのは、7世紀で、カオールの司教の援助の下にベネディクト会の修道院として建てられました。

しかし、8世紀にはピレネーを越えてきたイスラムに、9世紀には海を渡ってきたノルマンによって破壊されましたが、11c中頃、クリュニー会に組み込まれてからは、新たに付属聖堂も建てられ黄金期を迎え、その勢力は南仏のラングドック地方からスペインにまで及び、サンチャゴ巡礼の重要な宿場にもなりました。

13cにはカタリ派の拠点にもなったため、アルビジョワ十字軍の攻撃を受け、百年戦争時には、一時イギリスに支配されました。フランス革命時には国家財産として教会は没収され、売りにも出されましたが、1800年代に入ると教会の機能を取り戻します。1856年、ボルドー〜セート間の鉄道が修道院内の敷地を通ることになり、食堂の建物などが壊されましたが、ロマネスク・ゴシック様式の回廊は線路すれすれでなんとか免れました。

>>モワサックへのアクセス

トゥールーズより列車にてアクセス可能

ルルド(Lourdes)

ミディ・ピレネー地方、ピレネーの麓にある町ルルド。ルルドは、ローマ・カトリック教会によって定められたキリスト教の奇跡が起きた地の一つです。世界でたった3つしかありません。フランスのルルド、ポルトガルのファティマ、そして、メキシコのグアドルーペです。

幼い少女ベルナデットが、聖母マリアに出会ったということから、その少女がマリアを見た洞窟に信仰が集まった村町です。洞窟には奇跡の泉が湧いていて、その水を飲んで、不治の病が治ったという症例がいくつも出ています。

そのため、多数のホテルが建てられ、ヨーロッパはもちろん、世界中のキリスト教信者が訪れる聖地です。その奇跡が起きたときのマリアのお告げによって、ルルドには素晴らしい教会が建てられ、今では7カ国語でのミサ、そして場合によってはさらに多くの言葉によるミサがあげられています。

春から秋にかけては、毎夜ロウソク行列とミサが行われ、その光景を見れば、この地が本当に聖地だということを感じられます。

>>ルルドへのアクセス

実は近くに空港があり、パリからであれば、タルブ・ルルド空港へ空路でアクセスすることが可能。

列車ではトゥールーズからの列車でアクセスが可能。






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